高橋裕之のシネマ感B

シネマコミュニケータ―称号授与20年目 尼崎から全国へ宣伝的に発信

再び・・・bobbyshiro<プロローグ>を!


最近になってこのブログをご覧いただいている方に
<bobbyshiroのルーツ>をご紹介します!

①何故bobbyshiroなのか?

「bobbys hiro って何?」
hiroは名前が裕之なんでご理解いただけるのですが、
bobbyはね、
作家 片岡義男
「ボビーに首ったけ」「ボビーを追っかけろ」の
ボビーから来ているのです。
物語の中のbobbyが、
若い頃の自分にとっては
なりたい人間像だったのです
(絶対になれないけど)
bobbyは事故で死んでしまうので、
どんな大人になったかわかりませんが、
40歳をすぎたbobbyが
今の自分だったら最高なのですが・・・ 

②なぜbobbysと複数なのか?

昔は「bobby hiro(ボビヒロ)」と
一人称だったのですが~
仲のよい後輩と知り合った時に、
吉本興業」に行こうかと考えた時期がありました。
後輩の名前も博が付いていたので
「bobbys hiro」にしたのです、
だから正確には私は「bobbys hiro 1」なのです。
後輩は「bobbys hiro 2」なのです。

③何故bobbyshiroは映画好き?

神戸出身ということで映画環境には恵まれていました。
小さい頃は姉ちゃんに連れられて
ゴジラシリーズ」を、
おおばあちゃんに連れられて
東映まんがまつり」を、
親戚のおばちゃんに連れられて
「ディズニー映画」を走破しました。
(もう3人ともいませんが)
その後は父親に連れられて
「二番館3本立て」
母親に連れられて
「寅さんシリーズ」を走破しました。
初めて行った試写会(洋画大人向き)は
中1の時の「オーメン」でした。
子供同士で見に行った洋画は
「007/黄金銃を持つ男」でした。
中学以降本当に映画をみまくり、
高校生になったころは、
すでに映画と密接になっていました。

④いつからbobbyshiro?
bobbyshiroという言葉を使っているけど、
bobbyshiroに完全になったのは、
二十歳を過ぎてからです。
高校時代はまじめな高校生でした。
でも、この時期から試写会という
状況におぼれていました。
友達とよくABC名画試写会に
学校が終わってから制服のままでよく行きました。
この時にはよく「東宝東和」の作品をみていました。
この時に見ていたことが、
東宝東和」さんの会社に行ったときに役にたった。
20年も過ぎたのに・・・
そうCBシネマコミュ二ケーター学院の
特別講師森川みどりさんの「
シネマなお仕事」という本を読んでびっくりした。
森川さんのMcデビューが
ABC名画試写会 
東宝東和作品「ピラミッド」と書いてあった。
ホテルプラザ提供の・・・
俺実はそれに行ってた。
この前その時の試写会状を見て確認した。
今度お会いする時があればおみせしょううと。
ほんとに高校時代の行動が今につながっている。
(bobbyshiroのルーツはここにあり)

⑤bobbyshiroのデビュー作?
昔、神戸のミニコミ誌に
「COM COM」というのがあり、
読者のページに投稿した影響で
毎号映画ネタコメントを書かせていただいてました。
(高校生の為、報酬はなく、映画の招待券をもらってました。)
1年ぐらいだったけどね。
その後編集室が京阪神Lマガジンに行ってしまったので~
(Lマガジンは神戸発祥なこと知ってますか?)
この時に将来を決めていたら今頃はと思う日もあります。
その後は当分の間、ラジオ関西の映画番組に投稿し
月に1回は名前を呼んでいただいてました。
(河野春美さんどうしてるでしょうか?)